歴史

オステオパシーは、1874年6月22日に医師であるDr.アンドリュー・テーラー・スティルによってアメリカで発表されました。彼はヒポクラテス時代から世界の多くの場所でマニュピュレーション(徒手矯正)として使われてきたものを独自に発展させました。Drスティルは解剖学にとても興味を持ち、研究者として筋肉と骨格について学ぶことを趣味にしていました。今でもオステオパシーは①に解剖学②に解剖学③に解剖学とDrスティルの考えは受け継がれています。後に1892年にミズーリ州カークスビルにアメリカンスクールオブオステオパシーが創設されました。1910年には医学として公認され発展してきました。そして現在、日本でも健康志向の高まるなかオステオパシーが認められつつあります。

スティル博士は、オステオパシーについて次のように語っています。

「完璧に矯正された人体こそは、新鮮な血液を大量に作り出し、必要なときに必要なだけ、必要としているところにそれを運んで、生命の営みを効率よく支える。これが薬の代わりに心あるオステオパスが行うことなのである。」

これは、予防医学としてオステオパシーが私たち人間の健康維持に大きな役割を果たしていくことを示唆しています。スティルの格言で、Find it, fix it, leave it alone.彼は「(障害を)見つけよ、そしてそれを矯正し、後はそっとしておけ」という言葉をのこしている、これが治療の基本であろうと思います。SD(Somatic Dysfunction) 体性機能障害「骨格、関節、筋膜構造とそれに関連する血管、リンパ、神経の構成要素を包含する体性のシステム(身体骨格)に関連する構成要素の機能が障害を受けたり、変性された状態」などを見つけだしてそれを施術したら、あとは自然治癒力にまかせておけばいい、やりすぎてはいけない。ということです。

今後、高齢化が進み様々な疾患を持つ人々が増えるのに応じて、予防が可能なオステオパシーは、まさに21世紀の医療といえます。

image ところで日本では(山田式整体術講義録)による文献に、山田信一師が大正4年1月に柴崎先生という方からオステオパシーの施術を受け、眼病が良くなったことがきっかけでアメリカからオステオパシーの本をとりよせて勉強し、それに撫鎮術を併せて(山田式整体術)として世に広めていったことが記述されています。
このため、オステオパシーという言葉が使われずに山田式整体術として発展してきたこと、長い間、徒弟制度的要素を強くして受け継がれてきたこと、が主な原因となり日本ではあまり認知されてきませんでした。現在、オステオパシーは当時とは比較できないほど進歩し施術法も多岐にわたり、沢山の症状を施術できるレベルまでになっています。