オステオパシーの歴史

オステオパシーは1874年(明治7年)にアメリカ人医師のアンドリュー・テイラー・スティルによって発表されています。スティルは当時流行性髄膜症で三人の娘を亡くし自分の行っている医学に絶望し辞めようとしたようです。その後もさらに3人の子供たちも生後まもなくなくなったことから、健康とは病気とはを考え直してオステオパシーの発表につながっています。
カイロプラクティックの発表が1895年ですからオステオパシーはそれより20年も前に発表されています。

ラテン語で骨を意味するオステオン(osteon)と病気・治療を意味するパソス(pathos)から作られた造語で「オステオパシー」です。こう聞くと骨の関係の治療法なのかと思いますが人間全体を扱うので、現在は日本語で訳さずオステオパシーと使っています。

オステオパシーは医師が発表した学問で医師たちが学んでいました。後にMDとは別のDO(オステオパシー医師)としての米国の資格が出来て発展していきました。
ですがその後、弾圧にあいMDとDOを統合する動きがありました。ですがスティルはMDと考え方や哲学は別なので、その統合を断ったことにより現在も米国ではMDとDOと二種類の医師が存在します。

日本には1910年頃にはすでに米国から伝わっていたようです。
1921年(大正10年)にはオステオパシーについて書かれた書籍山田式整体術講義録って最古の書籍が存在しています。
ですがここでオステオパシーが山田式と勝手に名前を変えられて、その後徒弟制度などで伝えられていたので正常な発展が出来てきませんでした。この時期からオステオパシーが独立した専門職として日本で発展していたら100年で相当違っていたことでしょう。

日本オステオパシー学会が出来たのは1990年ですが1987年からオステオパシー研究会として、海外から先生方を呼びセミナーを行って学んできました。
すでに113年後のスタートです。現在のオステオパシーの情報があるのは日本オステオパシー学会の活動があったからでしょう。

またオステオパスを育成するには教育機関が必要として、日本で最初にオステオパシーの教育機関を1992年に設立しています。

現在では3年制のインターン過程を備えたフルタイム教育のジャパン・カレッジ・オブ・オステオパシー(JCO)で教育を行っています。
ですが海外では5年生の修士も取れるフルタイム教育が一般的になりつつあり、まだまだこのレベルには達していません。
日本オステオパシー学会の会員は、このJCOで教育された卒業生が多く半数以上がしっかりとオステオパシーの教育を受けた人材です。

またJOF(日本オステオパシー連合)では民間のオステオパスの認定試験を行っています。
1次テスト筆記4時間
2次テスト実技問診・口頭試問・鑑別診断・オステオパシー的な思考プロセス・実技などトータルな実技試験
これに合格した方をMRO-(J)として日本のオステオパスの称号を与えています。

日本オステオパシー学会のHPではJCOの卒業生なども検索できます。
https://osteopathic.jp/

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